高瀬舟-3side stories-
ほしぷろvol.9「高瀬舟 -3side stories-」観劇記
「何者でもない人間からの」(たかすかまさゆき)
ぼくがはじめて「ほしぷろ」の舞台をみたのは2022年の5月21日のこと、第12回せんがわ演劇コンクールのライブ配信だった。『なめとこ山の熊のことならおもしろい。』という長いタイトルのこの作品は、宮沢賢治の小説『なめとこ山の熊』を下敷きにしつつ現代の話も要所要所に入れ込んでくる構成になっていて、「ほしぷろ」は演出家賞(星善之)と俳優賞(瀧澤綾音)をW受賞した。
ちなみに完全な余談なのだが、ぼくが大学の後輩である星善之の演技をはじめてみたのは彼が大学に入学した2011年のはずだが、もう覚えていない(もしかしたらそのときはみていないのかもしれない)。はっきり覚えているのは2012年3月、ぼくの代の卒業公演のときにいっしょに舞台に立ったこと、次の春か夏に彼が新人公演のために演出した作品(たしか永井荷風の小説を舞台化したもの)を当時の自分の腹立ち紛れにアンケートで酷評したこと(ほんとうにごめんなさい)、彼の代の卒業公演をみに行ったこと(みに行った記憶はあるのだけれどなにをみたのかはもう覚えていない、これまたごめんなさい)、その後大学を卒業した彼が茨城県土浦市を拠点にする劇団「百景社」に一時期入団し、「百景社」の舞台に立つのを何度かみたことだ。その後、「百景社」を離れ「ほしぷろ」を立ち上げた彼の活動はFacebookでなんとなく追ってはいたけれど実際にみる機会はなく、そうこうしてる間にパンデミックが起こり、気づけばせんがわ演劇コンクールに出場するのを彼のFacebookで知ったのだった。そして今回はじめて「ほしぷろ」の舞台を生でみることになった(2022年12月16日20時の回の『高瀬舟 -3 side stories-』「庄兵衛」編の公開ゲネプロ)。
『高瀬舟』は兄弟殺しを題材にした森鴎外の短編で、兄・喜助編と弟編は再演だが、弟殺しの罪で護送中の喜助から話を聞く役人の庄兵衛の視点から描いた「庄兵衛」編は今回が初演とのこと。『高瀬舟』の原作については青空文庫でも読めるので気になる方はそちらを読んでいただくとして、ここでは実際に舞台上で起こったことを書き留めておきたい。
舞台はまずは、庄兵衛の愚痴からはじまる。どうやら妻の浪費癖が激しく、一生懸命稼いでも稼いでもお金がなくていやんなっちゃうぜ、ということらしい。この辺りの話は実際に原作の中盤にも出てくるが、舞台では冒頭で語られることになっている。そのほかに原作と違っているのは、庄兵衛が現代の話し言葉で喋っていることと、それからスマートフォンといった原作の時代設定(おそらく江戸時代)ではあり得ないものが話の中に出てくることだ。そしてどうもストレスから、同僚といっしょになにやらいかがわしい店に出入りするようになったということが仄めかされる。この箇所は原作にはない、「ほしぷろ」オリジナルの設定になる。
そこから彼が喜助を護送する経緯を語りはじめ、そこがいわば本編となるわけなのだが、喜助の話をする箇所では言葉遣いも含めて原作に忠実に語られるようになっている。ところが途中から、ふたたび風俗店での話に戻ってくる。公費で接待につきあってるだけだ、と自分に言い聞かせながらお店で時間を過ごしていた彼は、だんだん興が乗ってきて、しまいにはノリノリで「スーダラ節」を熱唱する。「スーダラ節」は1961年の曲だから、明らかに時代がそこで食い違うということが起こる。
歌い終わった庄兵衛は店員(おそらく女性)に促されるままふたたび喜助の話をはじめる。そこでようやく喜助がなぜ「殺人」を犯したのかが判明するのだが、喜助の話を聞きながら庄兵衛のなかに、「これは殺人というべきかどうか」という葛藤が生まれる。だが最後はけっきょく、お上に判断を委ねる(原作だと「庄兵衛の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分よりも上のものの判断に任すほかないという念、オオトリテエに従うほかないという念が生じた。庄兵衛はお奉行様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである」)という、これまで話を聞いていた側からすれば「え?」という結論に至る(この他力本願っぷりはまるで『舞姫』のあの駄目男のようではないか!)。ここまでは原作のとおりなのだが、最後の最後、他人の不幸の話をするのは不謹慎だと思いつつも、「分かっちゃいるけど、やめられねぇ!」と「スーダラ節」のなかにある一節が庄兵衛の台詞として付け加えられる。そして「スーダラ節」の音楽が流れたまま、カーテンコール。
原作の世界あるいは時代に現代の時間軸が混じり込んでしまう、という構成は、『なめとこ山の熊』でも同様にみられた。『なめとこ山の熊』の中盤くらいで、たしか家の前の景観を邪魔している木を切る切らないみたいな内容で隣人と揉めて、それはその土地に長く根ざしているひととそうでないひととの間に起こる摩擦として語られていたと記憶しているのだけれど、うっかり原作の宮沢賢治の作品世界の話だと思って聞いていたら、「これ、いまの話ですよ?」と急に言われてどきっとした覚えがある。こういった手法は、原作の作品世界にどっぷり浸かる(作品世界に浸かることでカタルシスを得る)というのと違って、どこか作品との関係性、もっといえば現実世界を生きるひとたちと作品との繋がり/隔たりみたいなものを考えようとする構成にみえたし、舞台上に張り巡らされた(結び付ける-境界を引く道具としての)紐は、いまから思えばその繋がり/隔たりみたいなものをより強調していたようにも思える。
それは今回の『高瀬舟』にもいえて、庄兵衛になりきる(いわゆる「役になりきる」)ということではなく、作品世界やその世界で描かれる時代との隔たりを保ちながら、その時代や原作に描かれる事件を取り扱おうとする手付きにも思える。言い換えれば、作品世界を舞台上に現出させることを主眼にしているというよりも、その世界と現代(を生きるわたしたち)との関わりみたいなもののほうにより重きを置いているようにみえる。
ぼくが知っている「星善之」はどちらかというと“演劇っ子”で現実世界より演劇の世界のほうが好き!という印象があったので、これはずいぶんな変化なのではないかと思ってしまう(演劇好きなのはあいかわらずだなと思いつつも)。きちんと彼の活動を追えておらず、また「ほしぷろ」の舞台はライブ配信でみた『なめとこ山の熊』と今回の『高瀬舟』「庄兵衛編」の二つしかみたことがないからこれは憶測でしかないけれども、地元福島での活動がもしかしたら意識の変化を生んだのかもしれない。5月の『なめとこ山の熊』も作のクレジットは「クリエイションメンバーによる合作」となっており(11月の再演時には「作・構成・演出:クリエイションメンバー」とさらに変更を加えている)、ひととの関わり合いを重視している姿勢が伺える。
彼はもしかしたら「何者かになること」をいったんリセットしたのかもしれない。思えば「ほしぷろ」の『高瀬舟』をみたときにまっ先に思ったのは、喜助は何者でもない、という感想だった。殺人の罪に問われているが殺人者ではなく、弟を養う兄という役目ですらなくなった喜助。庄兵衛が護送中の喜助に対して不思議な感慨を抱いたのも、ひとえにこの「何者でもない」ことに対する憧憬の念だったように思う。けっきょく原作の庄兵衛は何者かであることから降りることができず(その辺りは『舞姫』のあの駄目男といっしょ)、「ほしぷろ」の舞台でもそれは同様に描かれるわけだけれど、庄兵衛を演じる星善之自身は、庄兵衛を演じることで「何者」かと「何者でもないもの」との距離を測ろうとしていたのかもしれない。それは“ひと”という曖昧なものの距離を測ろうとする試みでもあったのではないか。だからこそすでに制作していた喜助編・弟編に加え庄兵衛編をわざわざ新作として制作したのではないだろうか。それは喜助兄弟の間を繋ぐ-隔てる役割であると同時に、作品世界やそこで描かれる時代とわれわれとの間を繋ぐ-隔てる語り部としての役割としてということだ(美術として舞台上に散りばめられた無数の黒い箱馬が無造作に積み上げられなにかのかたちを成そうとしながらけっきょくなににもなっていない、ということも、そういった繋留と隔絶を表しているようにみえなくもない)。庄兵衛はけっきょく他人に判断をすべてぶん投げてしまうことになるわけだが、思えば演劇というものもそもそもそういうものだという気もしてくる。他人の不幸話を「分かっちゃいるけど、やめられない」庄兵衛という(無責任にもみえる)人物が、けっきょくのところ演劇を体現しているようにもみえてくるのは、皮肉といえば皮肉だけれども(考えてみればシェイクスピアの悲劇なんて他人の不幸話のオンパレードだ)。
……というところまで書いた時点で、せんがわ演劇コンクールの講評をいいかげん読んでおこうと思ってコンクールのWEBサイトを開いてみると、彼自身インタビューで「自分が何者なのかよくわからない」というようなことを語っていて、少し驚いている。何者でもない人間からの言葉だからこそ繋ぎ止めることができるものもきっとあるのだと思う。ここでたまたま仕事の関係で読んでいた福田善之『真田風雲録』のある台詞を引用したい欲望に駆られる。思えば福田善之も歴史的事件に現代が抱える問題や葛藤を組み入れる作家だった(しかも同じ「善之」!)。「おれたちは武士でも百姓でもない、ちゃんときまったものではない、あっちへふわふわ、こっちにふらふら、が、それがなぜ悪い?え、現在がっちりとはなにものでもあり得ないということは、すいすいすうだら何ものでもあり得るのだ」(『福田善之Ⅰ 真田風雲録』ハヤカワ演劇文庫、2008年、45-46頁。ちなみに『真田風雲録』の初演は1962年であり、この引用した台詞はもちろん当時大流行していた植木等の「スーダラ節」に対する応答でもあるだろう)。「ほしぷろ」は今年の7月をもって1年半ほど活動休止するらしいが、また帰ってくることをたのしみにしています。
たかすかまさゆき
1989年愛媛県生まれ。2017年12月、ふじのくに⇔せかい演劇祭2017劇評コンクール最優秀賞および入選。
2018年1月、第22回シアターアーツ賞佳作。